給与所得者の特定支出控除 — 判定額は給与所得控除の2分の1。令和8年分は「上がった」
会社員でも、仕事のために自腹で払った資格試験料やスーツ代を経費にできる——そう紹介されるのが給与所得者の特定支出控除です。制度は確かに存在します。ただし、使えた人はごくわずかです。
結論から言うと、この制度には3つの関門があります。①金額(給与所得控除額の2分の1を超えた部分しか引けない)、②証明(会社が証明書を書かなければ1円も引けない)、③申告(年末調整では受けられない)。多くの人が止まるのは①ではなく②です。
そして令和8年分は判定額そのものが動きました。動いたのは給与収入220万円未満の人だけで、しかも上がった——使いにくくなった方向です。以下、条文の原文でたどります。
- 判定額は給与所得控除額の2分の1。給与収入500万円なら72万円、850万円超なら97.5万円を超えた部分だけが引ける
- 令和8年分で判定額が動いたのは給与収入220万円未満の人だけ。租税特別措置法29条の4で給与所得控除が74万円になるため、判定額は32.5万円→37万円に上がった
- 対象は7区分。国税庁の証明書様式は10種類あり、施行規則36条の5第1項の9号の区分と対応している
- 証明するのは自分ではなく会社(研修費・資格取得費のみキャリアコンサルタントも可)。ここが実質的な関門
- 年末調整では受けられない。ただし条文は修正申告書・更正請求書も明記しているので、後から気づいても間に合う場合がある
- 所得税基本通達には「法第57条の2関係」が1本も置かれていない(目次を全数確認)。解釈の手がかりは質疑応答事例と「情報」だけ
判定額は給与所得控除額の2分の1 — 令和8年分の一覧
制度の本体は所得税法57条の2第1項です。
居住者が、各年において特定支出をした場合において、その年中の特定支出の額の合計額が第二十八条第二項(給与所得)に規定する給与所得控除額の二分の一に相当する金額を超えるときは、その年分の同項に規定する給与所得の金額は、同項及び同条第四項の規定にかかわらず、同条第二項の残額からその超える部分の金額を控除した金額とする。
読みどころは3つです。①「超えるとき」なので、判定額ちょうどでは1円も引けません。②引けるのは「その超える部分」だけで、特定支出の総額ではありません。③「同条第四項の規定にかかわらず」——給与収入660万円未満の人が普段使う別表第五(簡便表)を使わず、計算式で給与所得控除額を出すことになります。
令和8年分の給与所得控除額と、その2分の1(=判定額)は次のとおりです。
| 給与等の収入金額 | 給与所得控除額(令和8年分) | 判定額(2分の1) |
|---|---|---|
| 150万円 | 74万円 | 37万円 |
| 220万円 | 74万円 | 37万円 |
| 300万円 | 98万円 | 49万円 |
| 360万円 | 116万円 | 58万円 |
| 500万円 | 144万円 | 72万円 |
| 660万円 | 176万円 | 88万円 |
| 800万円 | 190万円 | 95万円 |
| 850万円超 | 195万円(上限) | 97.5万円 |
給与所得控除額は所得税法28条3項(令和8年12月1日施行)と租税特別措置法29条の4第1項で計算したもの。金額は上表の収入金額ちょうどの場合の値です。
令和8年分で判定額が上がったのは、給与収入220万円未満の人だけ
令和8年度の改正で給与所得控除の計算式が変わりました。適用開始は附則に明示されています。
新所得税法第二十八条の規定は、令和八年分以後の所得税について適用し、令和七年分以前の所得税については、なお従前の例による。
さらに令和8年・令和9年だけの特例が租税特別措置法に置かれています。
令和八年又は令和九年において、その年中の所得税法第二十八条第一項に規定する給与等(以下この項及び次項において「給与等」という。)の収入金額が二百二十万円以下である場合には、当該給与等に係る同条第三項に規定する給与所得控除額は、同項第一号の規定にかかわらず、七十四万円(当該収入金額が七十四万円に満たない場合には、当該収入金額に相当する金額)とする。
ここで置き換えられるのは「給与所得控除額」そのものです。特定支出控除の判定額はその2分の1と定義されているので、判定額も自動的に動きます。令和7年分と並べると次のようになります。
| 給与等の収入金額 | 令和7年分の判定額 | 令和8年分の判定額 | 差 |
|---|---|---|---|
| 150万円 | 32.5万円 | 37万円 | +4.5万円 |
| 200万円 | 34万円 | 37万円 | +3万円 |
| 220万円 | 37万円 | 37万円 | ±0 |
| 300万円以上 | 49万円〜 | 49万円〜 | ±0 |
給与収入69万1千円以上220万円未満の場合は措置法29条の4第2項が給与所得の金額そのものを定めており、同条第3項が所得税法57条の2第1項の読み替えを置いています。制度の対象から外れるわけではありません。
対象になる7区分と、それぞれ誰が証明するか
特定支出は所得税法57条の2第2項の1号から7号までに限られています。「仕事に必要だった支出」という一般条項はありません。
| 号 | 区分 | 証明する人 |
|---|---|---|
| 1号 | 通勤費 | 給与等の支払者 |
| 2号 | 職務上の旅費 | 給与等の支払者 |
| 3号 | 転居費(転任に伴うもの) | 給与等の支払者 |
| 4号 | 研修費 | 給与等の支払者 またはキャリアコンサルタント(教育訓練に係る部分に限る) |
| 5号 | 資格取得費 | 同上 |
| 6号 | 帰宅旅費(単身赴任等) | 給与等の支払者 |
| 7号 | 勤務必要経費(図書費・衣服費・交際費等) | 給与等の支払者 |
7号だけ金額の頭打ちがあります。
次に掲げる支出(当該支出の額の合計額が六十五万円を超える場合には、六十五万円までの支出に限る。)で、その支出がその者の職務の遂行に直接必要なものとして財務省令で定めるところにより給与等の支払者により証明がされたもの
この65万円は図書費・衣服費・交際費等の合計に対する上限で、費目ごとに65万円ずつではありません。また7号は条文がキャリアコンサルタントを挙げていないため、交際費や書籍代は会社の証明以外に方法がありません。
証明書は10種類。会社が書かなければ1円も引けない
証明で書かせる中身は所得税法施行規則36条の5第1項が区分ごとに定めており、号は9個あります(勤務必要経費が図書費・衣服費・交際費等の3つに割れるため)。国税庁が用意している証明書の様式も、この9区分に搭乗・乗車・乗船に関する証明書を加えた10種類です。
証明の中身は形式的なものではありません。たとえば研修費なら「その研修がその者の職務の遂行に直接必要な技術又は知識を習得するためのものである旨」を勤務先が書きます。会社が「これは職務に直接必要だった」と署名するということです。
会社が出した分と3つの給付金は差し引く
57条の2第2項の柱書は、特定支出から次のものを除いています。
- 給与等の支払者に補塡され、かつその補塡部分に所得税が課されていないもの
- 雇用保険法の教育訓練給付金が支給される部分
- 母子及び父子並びに寡婦福祉法の母子家庭自立支援教育訓練給付金・父子家庭自立支援教育訓練給付金が支給される部分
効くのは1つ目です。非課税限度額の範囲で通勤手当が支給されている人は、その通勤費を特定支出に数えられません。補塡があっても課税されていれば除外されない、という書き分けです。
年末調整では受けられない。修正申告・更正の請求では受けられる
手続の要件は57条の2第3項です。
第一項の規定は、確定申告書、修正申告書又は更正請求書(次項において「申告書等」という。)に第一項の規定の適用を受ける旨及び同項に規定する特定支出の額の合計額の記載があり、かつ、前項各号に掲げるそれぞれの特定支出に関する明細書及びこれらの各号に規定する証明の書類の添付がある場合に限り、適用する。
挙がっているのは確定申告書・修正申告書・更正請求書の3つで、年末調整は入っていません。裏を返すと申告した後に気づいても更正の請求で拾える可能性があるということです(期限は別途、国税通則法で定まります)。
加えて4項が、支出の事実と金額を証する書類の添付または提示を求めています。施行令167条の5は原則として領収書等ですが、帰宅旅費で航空機を使った場合は運送事業者の証明書が別に必要で、鉄道・船舶・自動車も運賃と料金の額が1万5千円以上なら同じく事業者の証明書が要ります(施行規則36条の6第2項)。
この制度には基本通達が1本も置かれていない
所得税基本通達の目次を先頭から末尾まで確認すると、法第57条の2関係は存在しません。前後の法第56条関係・法第57条関係・法第57条の3関係はいずれも置かれているので、この条だけが飛んでいます。
そのため解釈の手がかりは質疑応答事例と「情報」(個人課税課情報第4号、令和5年6月14日)に限られます。たとえば「研修」の意味は質疑応答事例で次のように示されています。
研修とは、通常第三者が自己の有する技術又は知識を不特定多数の者に習得させることを目的として開設した講座等において、その第三者から訓練又は講習等を受けることによりその技術又は知識を習得するといった受動的立場での研修をいうものと解されます。
この解釈により、大学教授が自分の研究発表のために学会へ参加した旅費・宿泊費は「研修費」に当たらないとされています。「勉強のための支出」ではなく受動的立場で受けるものという線引きが、通達ではなく質疑応答事例にしか書かれていないわけです。
質疑応答事例は照会に係る事実関係を前提とした一般的な回答であって、通達のような一般的な法令解釈の定めではありません。国税庁自身がその旨をページ末尾に明記しています。
よくある質問
Q. 特定支出控除の判定額はいくらですか?
A. その年の給与所得控除額の2分の1です。令和8年分なら給与収入500万円で72万円、800万円で95万円、850万円超は一律97.5万円になります。特定支出の合計額がこの金額を「超える」場合に、超えた部分だけを給与所得の金額から差し引きます。
Q. 令和8年分から特定支出控除の判定額は変わりましたか?
A. 給与収入220万円未満の人だけ変わりました。租税特別措置法29条の4第1項により令和8年・令和9年は給与収入220万円以下の給与所得控除額が74万円となるため、判定額は37万円になります。令和7年分は給与収入190万円以下で給与所得控除額が65万円だったので判定額は32.5万円で、最大4.5万円上がった形です。給与収入220万円以上の帯では判定額は変わっていません。
Q. 会社が証明書を書いてくれない場合はどうなりますか?
A. 条文が「給与等の支払者により証明がされたもの」を特定支出の定義に組み込んでいるため、証明が無い支出はそもそも特定支出に当たらず、金額の要件を満たしていても控除は受けられません。研修費と資格取得費については、令和5年分以後、教育訓練に係る部分に限りキャリアコンサルタントの証明でも認められます。
Q. スーツ代は特定支出控除の対象になりますか?
A. 7号の勤務必要経費のうち衣服費は、所得税法施行令167条の3第7項が制服・事務服・作業服のほか「給与等の支払者により勤務場所において着用することが必要とされる衣服」を挙げています。したがって勤務先がその着用を必要としていると証明する場合に限られ、図書費・交際費等と合わせて65万円が上限です。
Q. 年末調整で特定支出控除を受けられますか?
A. 受けられません。所得税法57条の2第3項が挙げているのは確定申告書・修正申告書・更正請求書の3つで、いずれも特定支出に関する明細書と証明書類の添付が要件になっています。逆に言えば、確定申告を済ませた後に気づいた場合でも修正申告や更正の請求で対応できる余地があります。具体的な期限や可否については税理士へご確認ください。
出典
- e-Gov法令検索「所得税法」(昭和40年法律第33号)第28条(給与所得)、第57条の2(給与所得者の特定支出の控除の特例)、附則(令和8年3月31日法律第12号)第3条
- e-Gov法令検索「所得税法施行令」(昭和40年政令第96号)第167条の3(給与所得者の特定支出の範囲)、第167条の4(特定支出に関する明細書の記載事項)、第167条の5(特定支出の支出等を証する書類)
- e-Gov法令検索「所得税法施行規則」(昭和40年大蔵省令第11号)第36条の5(給与等の支払者等による証明等)、第36条の6(特定支出の支出等を証する書類)
- e-Gov法令検索「租税特別措置法」(昭和32年法律第26号)第29条の4(給与所得控除の最低控除額等の特例)
- 国税庁 タックスアンサー「No.1415 給与所得者の特定支出控除」(令和7年4月1日現在法令等)
- 国税庁 質疑応答事例(所得税)「学会参加費用の特定支出控除の適用可否」(令和7年8月1日現在の法令・通達等)
- 国税庁「令和5年分以後の所得税に適用される給与所得者の特定支出の控除の特例の概要等について(情報)」個人課税課情報第4号(令和5年6月14日)
- 国税庁「給与所得者の特定支出に関する証明書」(様式一覧)
- 国税庁「所得税基本通達」通達目次(法第2条関係から法第232条関係まで全数を確認し、法第57条の2関係が置かれていないことを確認した)
- 条文は e-Gov法令API v2(
/api/2/law_data/{law_id})で2026年8月19日に取得。所得税法・租税特別措置法は令和8年12月1日施行のリビジョン。施行令167条の3〜167条の5、施行規則36条の5・36条の6、および法57条の2は、asof=2026-12-01のリビジョンと本文が同一であることをハッシュで確認した
本記事の確認範囲は上記の4法令の条文本文と、国税庁のタックスアンサー No.1415・質疑応答事例・証明書の様式一覧です。「情報」(個人課税課情報第4号)の別冊PDF本文、住民税における取扱い、裁決例および裁判例は確認していません。取得時点より後に施行される改正は反映していません。
この記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する助言ではありません。どの支出が特定支出に当たるか、勤務先が証明できるかは、その職務の内容によって異なります。個別の判断については税理士へご確認ください。