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相殺とは — 相手の同意は要らない。ただし条件も期限も付けられず、賃金と差押禁止債権では止まる

結論から言うと、相殺(そうさい)は契約ではありません。売掛金と買掛金をぶつけて消す行為は、実務では「相殺契約を結ぶ」と言われがちですが、民法が定めているのは一方が相手に通知するだけで成立する単独行為です。民法506条1項は「相殺は、当事者の一方から相手方に対する意思表示によってする」と書いています。相手の同意も、押印も、覚書も要りません。

そのかわり、条文は3つの縛りを置いています。①その意思表示に条件も期限も付けられない(506条1項後段)、②効力は通知が届いた日ではなく「相殺適状」の日にさかのぼる(506条2項)、③どの請求書から消えるかは、合意が無ければ「相殺適状になった順」で決まる(512条1項)。この3つを知らないと、相殺通知の書き方を間違えたり、遅延損害金を多く払ったり、残ると思っていた請求書と違う請求書が残ったりします。

そして相殺は、止まる場面のほうが実務では重要です。従業員への貸付金と給与、人身損害の賠償金、差押えを受けた債権、下請取引の代金——このどれかに当たると、条文上できないか、別の法律で違反になります。この記事では、相殺の要件と通知の作法、遡及効の金額的な意味、そして止まる5つの場面を、条文と国税庁の通達で整理します。

相殺は「合意」ではない — 通知だけで成立する

民法505条1項が相殺の基本形を定めています。

二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。

ここで押さえるのは「対当額について」という言葉です。相殺で消えるのは重なっている部分だけで、多いほうは差額が残ります。当社が相手に132万円の売掛金を持ち、相手に55万円の買掛金を負っているなら、55万円が対当額で、当社の売掛金は77万円が残ります。両方が消えるのではなく、少ないほうの額だけが両方から引かれるという形です。

そして相殺を実行する方法が506条1項です。

相殺は、当事者の一方から相手方に対する意思表示によってする。この場合において、その意思表示には、条件又は期限を付することができない。

「当事者の一方から」ですから、相手が嫌がっていても成立します。実務でよく交わされる「相殺合意書」は、法律上は必須ではなく、金額と対象の認識を揃えるための確認書という位置づけになります。もっとも、後で「そんな通知は受け取っていない」と言われないために、書面で残す意味は大きいところです。

① 消えるのは「対当額」だけ 当社の売掛金 132万円 買掛金 55万円 対当額 55万円がここで消える → 売掛金は 77万円 が残る ② 効力が生じるのは「通知が届いた日」ではない(506条2項) 6/30 売掛金の期日 7/31 相殺適状 ここまで さかのぼる 9/30 通知が到達
相殺は対当額だけを消し、その効力は通知の到達日ではなく相殺適状の日にさかのぼる。

相殺できる条件 — 「相殺適状」の4つ

505条1項から読み取れる要件は4つです。この状態を相殺適状(そうさいてきじょう)と呼びます。

要件中身実務での注意
① 債権が向かい合っていること二人が互いに債務を負担していること親会社への売掛金と子会社への買掛金は当事者が違うので、そのままでは相殺できない
② 同種の目的であること条文の「同種の目的を有する債務」。実務ではほぼ金銭債権どうし商品を引き渡す債務と代金債務は相殺できない
③ 弁済期にあること条文は「双方の債務が弁済期にあるとき」下記のとおり、自分が払う側の期限は放棄できると一般に説明される
④ 性質が相殺を許すこと505条1項ただし書現実に履行しなければ意味がない債務(労務の提供など)は対象外

③について補足します。条文は「双方の債務が弁済期にあるとき」と書いていますが、自分が払う側(受働債権)の期限は、自分の利益のためにあるものです。民法136条2項が「期限の利益は、放棄することができる。ただし、これによって相手方の利益を害することはできない」としているため、一般には、相手からもらう側(自働債権)の弁済期さえ来ていれば、自分が払う側の期日が先でも相殺できると説明されます。逆は成立しません。まだ支払期日が来ていない売掛金を持ち出して、いま払うべき買掛金を消すことはできないという整理です。

自働債権と受働債権相殺を仕掛ける側から見て、自分が持っている債権が自働債権(当社の売掛金)、自分が負っている債務が受働債権(当社の買掛金)です。この記事の「できない」の話は、ほとんどが受働債権の側の制限です。相手のどんな債権を消しに行ってよいか、という話だと読むと整理しやすくなります。

相殺通知 — 条件も期限も付けられない。届いて初めて効く

506条1項後段は、相殺の意思表示に条件期限も付けることを禁じています。相手は通知が来た時点で法律関係が確定してしまうため、宙ぶらりんな状態を作らせない趣旨です。実務ではここで次のような書き方が問題になります。

相殺通知の文言評価
「9月30日までにお支払いがない場合は、当社の買掛金と相殺します」支払わないことを条件にしている。506条1項後段に触れる書き方
「10月31日付で相殺いたします」将来の日を期限としている。同じく避けるべき書き方
「本書面をもって、下記のとおり対当額で相殺いたします」いま確定的に相殺している。これが条文どおりの形

もうひとつ、相殺は意思表示ですから到達して初めて効力が生じます。民法97条1項が「意思表示は、その通知が相手方に到達した時からその効力を生ずる」と定めています。相手が受け取っていなければ相殺は起きておらず、こちらの帳簿だけが消えている状態になります。金額が大きいときや、相手と揉めているときに、内容証明郵便に配達証明を付けて出すのは、この到達を証拠に残すためです。

なお、相殺通知に書くべき事項は法律で決まっていません。どの債権とどの債務を、いくら消すのかが特定できていれば足ります。実務では、売掛金の請求書番号と日付、買掛金の請求書番号と日付、対当額、そして相殺後の残額と決済方法を並べます。請求書の番号を引用できる形にしておくと、後の突合が楽になります。

いつ消えたことになるか — 遡及効が遅延損害金を止める

506条2項は次のように定めています。

前項の意思表示は、双方の債務が互いに相殺に適するようになった時にさかのぼってその効力を生ずる。

つまり通知が届いた日ではなく、相殺適状になった日に消えたことになります。これは単なる理屈ではなく、金額に効きます。設例で見ます。

設例当社の売掛金 1,320,000円(弁済期 2026年6月30日)と、同じ相手への買掛金 550,000円(弁済期 2026年7月31日)。当社が相殺通知を出し、2026年9月30日に到達した。売掛金には約定利率が無く、法定利率の年3パーセント(民法404条2項・419条1項)で遅延損害金を計算する。

相殺適状は遅いほうの弁済期である7月31日です。遡及効により、対当額55万円はその日に消えたことになります。

期間遅延損害金の対象額遅延損害金
7月1日〜7月30日(30日)1,320,000円(全額)3,254円
7月31日〜9月29日(61日)770,000円(相殺後の残額)3,860円
条文どおりの合計7,114円
もし「通知が届いた9月30日に消えた」と扱うと1,320,000円のまま91日9,872円

差は2,758円です。金額そのものは小さく見えますが、これは相殺通知が遅れても、遅延損害金は相殺適状の日で止まっているということを意味します。逆に言えば、相手が遅れて相殺を通知してきたときに、こちらが通知日までの遅延損害金を請求することはできません。督促と相殺が交錯している取引では、ここを取り違えると請求額が過大になります。

どの請求書から消えるか — 「相殺適状になった順」であって額の順ではない

相手に対する売掛金が複数あるとき、買掛金はどれから消すのか。実務では「古い請求書から」「金額の大きいものから」と社内ルールで決めていることが多いのですが、相手との間で合意していなければ、条文が順序を決めています。512条1項です。

債権者が債務者に対して有する一個又は数個の債権と、債権者が債務者に対して負担する一個又は数個の債務について、債権者が相殺の意思表示をした場合において、当事者が別段の合意をしなかったときは、債権者の有する債権とその負担する債務は、相殺に適するようになった時期の順序に従って、その対当額について相殺によって消滅する。

基準は「相殺に適するようになった時期の順序」です。請求書の発行日順でも、金額順でもありません。設例で確かめます。当社が相手に700,000円の買掛金を負い、相手に対して3本の売掛金を持っているとします。

請求書金額相殺適状になった日充当される額
B請求書250,000円2026年4月30日250,000円
A請求書300,000円2026年5月31日300,000円
C請求書400,000円2026年6月30日150,000円

結果、残るのはC請求書の250,000円です。もしこれを「金額の大きい順」で処理していたら、C請求書400,000円とA請求書300,000円が消えてB請求書の250,000円が残ることになります。残額は同じ250,000円でも、残っている請求書が別物です。時効の起算点も、支払遅延の交渉相手も、督促する対象も変わります。

512条2項は、債権のほうが足りない場合について488条4項2号から4号までを準用し、弁済の利益が多いもの → 弁済期が先に到来したもの → 各債務の額に応じた按分という順序を定めています。さらに2項2号は、元本のほか利息および費用を支払うべきときに489条を準用しますので、費用・利息・元本の順に充当されます。元本から先には消えません

順序は合意で変えられる512条1項は「当事者が別段の合意をしなかったときは」と条件を付けています。基本契約書に充当の順序を書いておけば、そちらが優先します。継続的な取引で相殺を毎月行うなら、基本契約に充当順序の条項を置くほうが実務は安定します

相殺できない5つの場面

ここからが実務の本体です。相殺は原則として自由にできますが、次の5つは条文が正面から止めています。

場面根拠止まり方
① 性質上できないもの民法505条1項ただし書現実の履行に意味がある債務。相殺の対象にならない
② 相殺禁止の特約があるもの民法505条2項当事者間では有効。ただし第三者には悪意・重過失のときしか対抗できない
③ 悪意の不法行為・人身損害の賠償債務民法509条これを受働債権にできない(払う側が相殺で逃げられない)
④ 差押禁止債権民法510条給与の差押禁止部分などを受働債権にできない
⑤ 賃金労働基準法24条1項・17条全額払い原則。加えて前借金との相殺は名指しで禁止

②の505条2項は2020年の改正で入った規定です。

前項の規定にかかわらず、当事者が相殺を禁止し、又は制限する旨の意思表示をした場合には、その意思表示は、第三者がこれを知り、又は重大な過失によって知らなかったときに限り、その第三者に対抗することができる。

つまり契約書に「相殺禁止」と書いてあっても、それを知らない第三者には主張できません。債権が譲渡された先や、差押債権者に対しては、特約だけでは止められないという構造です。

③の509条は「次に掲げる債務の債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない。ただし、その債権者がその債務に係る債権を他人から譲り受けたときは、この限りでない」とし、1号に悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務、2号に人の生命又は身体の侵害による損害賠償の債務(1号に掲げるものを除く)を挙げています。2号には「悪意」の要件がありませんから、過失による人身事故の賠償債務も含まれます。会社の業務中の事故で従業員に人身損害を与えた場合、その賠償債務を、従業員への貸付金で相殺することはできないという結論になります。

④と⑤は重なります。民法510条は「債権が差押えを禁じたものであるときは、その債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない」と定めており、給与は民事執行法152条1項によって手取りの4分の3が差押禁止ですから、その部分は民法510条によっても相殺できません。さらに労働基準法24条1項の全額払い原則があり、17条は「使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない」と名指しで禁じています。給与からの控除については、根拠が3つ重なっていると理解しておくと安全です。具体的に何なら引けるかは給与から控除できるもので扱っています。

差押えが入ったとき — 前から持っていた債権なら勝てる

取引先が差押えを受け、当社が第三債務者として債権差押命令を受け取ったとしましょう。当社はその取引先に買掛金(=差し押さえられた債権)を負い、同時に売掛金も持っている。この売掛金で相殺して、差押債権者より先に回収できるのか。511条1項が答えを書いています。

差押えを受けた債権の第三債務者は、差押え後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することはできないが、差押え前に取得した債権による相殺をもって対抗することができる。

境目は「その売掛金をいつ取得したか」だけです。差押えより前に取得していれば、弁済期が差押えより後に来るものでも相殺で対抗できます。逆に、差押命令が届いた後に新しく取引して発生させた売掛金では対抗できません。

511条2項は例外を1つ足しています。差押え後に取得した債権でも、差押え前の原因に基づいて生じたものであれば対抗できます。ただし「第三債務者が差押え後に他人の債権を取得したとき」は除かれます。差押えを知ってから他社の債権を買い集めて相殺の弾にする、という動きを封じる書き方です。

差押命令が到達 ← 差押え前 差押え後 → 前に取得した債権 → 相殺できる(511条1項) 後に取得した債権 → 相殺できない(同項) ただし「差押え前の原因」から 生じたものなら相殺できる(2項) ※他人から買った債権は除かれる 弁済期が差押えより後に来ても 取得が前なら対抗できる
差押えと相殺の優劣は「取得の時期」で切れる。弁済期の前後ではない。

債権を譲渡されたとき — 差押えより1つだけ広い

取引先が売掛金を第三者に譲渡し、当社に譲渡通知が届いた場合も構図は同じです。当社は譲受人に払えと言われる一方で、譲渡人(取引先)に対する売掛金を持っている。この場合を定めるのが469条で、差押えの511条とほとんど同じ形をしていますが、1か所だけ広いという違いがあります。

相殺できる債権差押え(511条)債権譲渡(469条)
差押え/対抗要件具備より前に取得した債権できる(1項)できる(1項)
後に取得したが、前の原因に基づいて生じた債権できる(2項)できる(2項1号)
後に取得したが、譲渡された債権と同じ契約から生じた債権規定が無いできる(2項2号)
後に他人から譲り受けた債権できない(2項ただし書)できない(2項ただし書)

469条2項2号は「譲受人の取得した債権の発生原因である契約に基づいて生じた債権」を挙げており、511条2項にはこれに当たる号がありません。同じ工事請負契約から生じた報酬債権が譲渡された場合に、その後に発生した同じ契約上の損害賠償請求権で相殺できるか——譲渡ならできると読めますが、差押えでは2項の「前の原因」に当たるかを個別に判断することになります。「差押えも譲渡も同じ扱い」と覚えていると外すところです。

債権譲渡そのものの対抗要件や、譲渡制限特約が付いていても譲渡自体は有効であること(466条2項)については、ファクタリングの記事で扱っています。

時効で消えた売掛金でも、相殺できることがある

508条は、経理にとって実利のある例外です。

時効によって消滅した債権がその消滅以前に相殺に適するようになっていた場合には、その債権者は、相殺をすることができる。

売掛金が時効で消滅していても、その消滅より前にすでに相殺適状になっていたのなら、いまから相殺してよいという規定です。相殺できる状態にある当事者は「もう決済は済んだようなもの」と考えるのが通常なので、その期待を保護する趣旨だと説明されます。

条件は「その消滅以前に」相殺適状になっていたことです。時効が完成した後に相手への買掛金が発生した場合には使えません。順序が逆だからです。したがって実務上は、回収できていない売掛金があるなら、その相手に買掛金がいつ発生したかを先に確認することになります。時効そのものの起算点や、催告で6か月止まる仕組みは内容証明郵便支払督促の記事で扱っています。回収を諦める場合の税務上の処理は貸倒損失です。

経理処理 — 相殺は決済であって取引ではない

相殺の仕訳自体は単純です。売掛金と買掛金を対当額で消し、残額を通常どおり決済します。

場面借方貸方
相殺(対当額 550,000円)買掛金 550,000円売掛金 550,000円
残額 770,000円の入金普通預金 770,000円売掛金 770,000円

間違えやすいのは、相殺したぶんを売上や仕入から差し引いてしまうことです。相殺は決済の方法であって取引そのものではありませんから、売上高も仕入高も総額のままです。消費税も同じで、課税標準を定める消費税法28条1項は次のように書いています。

課税資産の譲渡等に係る消費税の課税標準は、課税資産の譲渡等の対価の額(対価として収受し、又は収受すべき一切の金銭又は金銭以外の物若しくは権利その他経済的な利益の額とし、課税資産の譲渡等につき課されるべき消費税額及び当該消費税額を課税標準として課されるべき地方消費税額に相当する額を含まないものとする。以下この項及び第三項において同じ。)とする。

「収受し、又は収受すべき」ですから、現金を実際に受け取ったかどうかで課税標準は動きません。相殺で入金がゼロになった月でも、課税売上はその月の売上金額のまま計上します。仕入税額控除の側も同じで、相殺したからといって適格請求書の保存が不要になるわけではありません。相殺通知書は適格請求書ではないので、相手からの請求書は通常どおり受け取って保存することになります。

残額を振り込むときの手数料相殺後の残額を振り込む場面では、振込手数料をどちらが負担するかが別途問題になります。手数料を勝手に差し引くと、それ自体が代金の一部不払いになりえます。詳しくは振込手数料の先方負担で扱っています。
振込手数料を差し引いた場合の請求残額を計算する

相殺の領収書 — 一行書くかどうかで印紙税が変わる

相殺したときに「領収書」を発行する慣行があります。ここには一行の書き方で税額が変わるという落とし穴があります。印紙税法基本通達 別表第一 第17号文書の20は次のように定めています。

売掛金等と買掛金等とを相殺する場合において作成する領収書等と表示した文書で、当該文書に相殺による旨を明示しているものについては、第17号文書(金銭の受取書)に該当しないものとして取り扱う。

ポイントは「相殺による旨を明示している」という条件です。国税庁のタックスアンサー No.7126 は、相殺の事実を証明するために作成した領収書であってもその事実が文書上明らかでないときには印紙税法上の受取書に該当すると説明しています。金銭を1円も受け取っていないのに、書き方のせいで課税文書になるということです。

一部だけ相殺する場合はもっと具体的に効きます。売掛金1,100,000円のうち400,000円を相殺し、残る700,000円を金銭で受け取ったケースで比べます。

領収書の書き方記載金額印紙税額
「うち400,000円は買掛金と相殺」と明示700,000円200円
明示せず1,100,000円とだけ書く1,100,000円400円
全額を相殺し、金銭の受領がゼロ0円(17号文書に当たらない)

印紙税法 別表第一 第17号の税率は、売上代金に係る受取書で100万円以下が200円、100万円超200万円以下が400円です。相殺分を明示すればその金額は記載金額として扱われないため、階段を1つ下ります。また同号の非課税物件欄は記載された受取金額が5万円未満の受取書を非課税としていますので、小口の相殺では明示するだけで印紙が不要になる場面も出ます。「相殺による」の6文字を書くかどうかの差です。収入印紙の金額で文書区分ごとの税額を確認できます。

下請取引では、相殺が「代金の減額」になる

最後に、相殺が民法上は有効でも別の法律で違反になる場面です。下請代金支払遅延等防止法は令和8年1月1日に改正法が施行され、題名も条番号も変わりました。現在の題名は「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」で、通称は中小受託取引適正化法です。「下請」「親事業者」「下請事業者」という語は条文から消え、「委託事業者」「中小受託事業者」になっています

禁止行為を定めるのは5条1項で、その3号が次のとおりです。

中小受託事業者の責めに帰すべき理由がないのに、製造委託等代金の額を減ずること。
条番号が動いている減額の禁止は改正前は4条1項3号でした。書面の交付義務も旧3条から4条へ、遵守事項は旧4条から5条へ移っています。「下請法4条3号」と書いてある解説は令和8年1月1日より前の条番号です。社内規程やチェックリストに条番号を書いている場合は、参照先を確認しておくと安全です。改称の全体像と、適用対象の決まり方がフリーランス法とどう違うかは中小受託取引適正化法で扱っています。

ここで相殺が問題になります。委託事業者が中小受託事業者に対して何らかの債権(金型代、原材料の有償支給代金、振込手数料、歩引きなど)を持っていて、それを代金から差し引いて払うと、中小受託事業者に責めに帰すべき理由がない限り、5条1項3号の減額に当たりえます。民法505条の要件を満たしていても、この法律の適用がある取引では別に違反となる、という二階建ての構造です。

あわせて、6条2項は代金の額を減じたときに遅延利息の支払義務が生じることを定めています。減額した日または給付を受領した日から60日を経過した日のいずれか遅い日から、減じた額に対して発生する仕組みです。支払期日そのものは3条が受領した日から起算して60日以内と定めており、検査をするかどうかを問いません。請求書の書き方で支払期日と遅延損害金の関係を扱っています。

相殺を安全に行うための実務基本契約に相殺条項と充当順序を置く(512条1項は合意を優先する)。②相殺通知には条件も期限も付けず、確定的に書く(506条1項)。③到達の証拠を残す(97条1項)。④領収書には「相殺による」と明示する(通達17号文書の20)。⑤相手が中小受託事業者に当たる取引では、代金からの差引きを相殺として処理する前に5条1項3号を確認する

よくある質問

Q. 相殺には相手の同意が必要ですか?

A. 必要ありません。民法506条1項は、相殺は当事者の一方から相手方に対する意思表示によってすると定めており、相手の承諾を要件にしていません。実務で交わされる相殺合意書は、法律上の要件ではなく、金額と対象債権の認識を合わせるための確認書という位置づけになります。ただし意思表示ですので、民法97条1項により相手に到達して初めて効力が生じます。相手が受け取っていなければ相殺は起きていませんので、金額が大きい場合や取引先と争いがある場合には、配達証明付きの内容証明郵便で到達の証拠を残す方法が採られます。

Q. 「支払がなければ相殺します」という通知書を出してよいですか?

A. 避けるほうが安全です。民法506条1項後段は、相殺の意思表示には条件又は期限を付することができないと定めています。支払がないことを条件にする書き方も、将来の日付で相殺するという書き方も、この規定に触れる形になります。相殺したいのであれば、その時点で確定的に相殺する文面にします。まだ相殺適状に達していないので待ちたいという場合は、相殺の通知ではなく支払の催告として出し、適状になってから改めて相殺を通知する形が整理されています。

Q. 買掛金の支払期日がまだ来ていません。先に相殺できますか?

A. 一般にできると説明されます。民法505条1項は双方の債務が弁済期にあるときと定めていますが、自分が払う側の期限は自分の利益のために置かれたものです。民法136条2項が、期限の利益は放棄することができるとしていますので、期限の利益を放棄して相殺することができるという整理です。逆に、相手からもらう側の売掛金の弁済期がまだ来ていない場合には相殺できません。相手の期限の利益を一方的に奪うことになるためです。相殺適状の判定では、自分がもらう側の債権の弁済期が来ているかを先に見ることになります。

Q. 複数の売掛金があるとき、どれから消えますか?

A. 相手との間に合意が無ければ、民法512条1項により相殺に適するようになった時期の順序に従って消えます。請求書の発行日順でも金額の大きい順でもありません。債権のほうが足りない場合は同条2項が民法488条4項2号から4号までを準用しますので、弁済の利益が多いもの、弁済期が先に到来したもの、各債務の額に応じた按分という順序になります。元本のほか利息および費用を支払うべきときは同項2号が民法489条を準用し、費用、利息、元本の順に充当されます。継続的な取引では、基本契約に充当順序を定めておけばそちらが優先します。

Q. 従業員への貸付金を給与から相殺できますか?

A. 一方的に行うことはできません。労働基準法24条1項の全額払い原則があり、同法17条は前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならないと定めています。加えて民法510条により、差押えが禁じられている債権を受働債権とする相殺はできませんので、民事執行法152条1項で差押えが禁じられている手取りの4分の3の部分については、この面からも相殺できません。労働基準法24条1項ただし書は、労使協定がある場合に賃金の一部を控除して支払うことを認めていますので、実務ではその枠組みで処理するかどうかを検討することになります。

Q. 取引先に差押えが入り、当社が第三債務者になりました。売掛金と相殺できますか?

A. その売掛金を差押えより前に取得していれば相殺できます。民法511条1項は、差押え後に取得した債権による相殺は差押債権者に対抗できないが、差押え前に取得した債権による相殺は対抗できると定めています。基準は取得の時期であって弁済期ではありませんので、弁済期が差押えより後に来る売掛金でも、取得が前であれば対抗できます。同条2項により、差押え後に取得した債権であっても差押え前の原因に基づいて生じたものであれば対抗できますが、差押え後に他人から譲り受けた債権は除かれます。

Q. 時効で消えた売掛金は、もう相殺にも使えませんか?

A. 使える場合があります。民法508条は、時効によって消滅した債権がその消滅以前に相殺に適するようになっていた場合には、その債権者は相殺をすることができると定めています。条件は、時効で消滅するより前にすでに相殺適状になっていたことです。相手への買掛金が時効完成の後に発生した場合には、この規定は使えません。したがって、回収できていない売掛金について検討する際には、その相手に対する買掛金がいつ発生したのかを先に確認することになります。

Q. 相殺した分は、売上や仕入から差し引いて計上するのですか?

A. 差し引きません。相殺は決済の方法であって取引そのものではありませんので、売上高も仕入高も総額で計上します。消費税も同じで、消費税法28条1項は課税標準を対価の額とし、その内容を対価として収受し、又は収受すべき一切の金銭その他と定めていますので、現金を実際に受け取ったかどうかで課税標準は変わりません。仕入税額控除についても、相殺したことを理由に適格請求書の保存が不要になるわけではありませんので、相手からの請求書は通常どおり受領して保存することになります。

Q. 相殺の領収書に収入印紙は必要ですか?

A. 相殺による旨を文書上明示していれば不要です。印紙税法基本通達 別表第一 第17号文書の20は、売掛金等と買掛金等とを相殺する場合に作成する領収書等と表示した文書で相殺による旨を明示しているものは第17号文書に該当しないものとして取り扱うと定めています。逆に、相殺の事実が文書上明らかでないときは受取書に該当すると国税庁のタックスアンサー No.7126 が説明しています。一部だけ相殺し残額を金銭で受け取る場合は、相殺に係るものであることが明らかにされている金額は記載金額として扱われませんので、印紙税額が下がることがあります。

出典

この記事は一般的な情報提供であり、個別の事案に対する法律相談ではありません。相殺が有効かどうか、どの債権とどの債務が相殺適状にあるか、下請取引に当たるかどうかは、契約内容と事実関係によって結論が変わります。実際の判断については弁護士にご相談ください。印紙税の具体的な取扱いについては所轄の税務署に、下請取引の該当性については公正取引委員会または中小企業庁にご確認ください。

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